おまめモ

おまめがメモをしています

【Note】アニメを見るようになった

この頃アニメをよく見るようになりました。「呪術廻戦」「BEASTARS」「スラムダンク」「ドロヘドロ」などなど、たくさんの世界に足を踏み入れています。

以前は気になるアニメこそマンガで読みたいと強く思っていて、アニメは邪道と決め込んでいました。アニメからおもしろい作品を見つけたらアニメはそこで終了。そこから原作のマンガをスタートさせるのが僕のスタイルです。しかし、すでにしばらくの間は行動に移すエネルギーはなく、結局アニメも見ず、マンガ見ないで過ぎてしまう日々でした。

原作がイチバンだと思っているのに対し、その原作に手を出す活力がない昨今は、アニメに触れないよう気を付けていたと思います。

 

再び見始めたキッカケは「スラムダンク」からです。30分ほどの長すぎない時間は小休憩や息抜きにちょうど良く、また流行りのサブスクリプションのおかげで時間のあるときには一気に進められるようになったので、今では隙あらばアニメを見るような生活になっています。

 

アニメには原作のマンガにはない余計なものが付け加えられているなどとツウぶっていましたが、マンガはマンガ、アニメはアニメとして見られるようになり、アニメの躍動感やテンポなどの間、声色、色彩などなど、動画ならではの世界観が鮮やかなのに気が付きました。アニメが得意でない要因の「受動的」も、今ではそれがかえってラクになり、これもまた活力がないからなのでしょう。つまりは歳をとったのが原因なのかと考えています。

それはそれで良いところがある。肝に銘じておきたいことです。

【Note】サブスクリプション

定額料金で使い放題のサブスクリプション。これまで実写ばかり見ていましたが、ちょっと見るのに気軽なアニメもぼちぼち見始めました。最近のモノから昔のモノまで、本当にすごいラインナップです。

今見ているのが、昔々、友だちに勧められて見ずに終わった「機動戦士ガンダム 第08MS小隊」です。

当時はスパロボにハマっていて、その友だちらともガンダムの話をよくしていた思い出があります。しかし、この08MS小隊は地上戦がメインのようで、強そうだけど地味なイメージがありました。やはり子どもの頃は、夢のある宇宙で軽快に飛び回るのがカッコよかったのでしょう。

そして本題である08MS小隊を見なかった理由は、出費がかさむからでした。そのときこの作品はVHSで、確か1本に1話しか入っていませんでした。1話30分ほどで、全部でVHS10本くらいあったと思います。それを最寄りのTSUTAYAでレンタルするのに1本300円くらいかかりました。

1本で2時間くらいは収まるであろうビデオテープを、納得できずに10本も借りなければならないのはかなりの苦痛です。何度か足を運び手に取るも、結局1度も見ずに終わってしまいました。

 

それが今となっては月額1,000円ほどでいくらでも見られます。わざわざお店へ行くこともなく、再生機器も特別いらず、好きなときに好きなだけ見られます。

鮮明に映ったアニメを見ながら、当時の葛藤を思い出してニヤニヤしていました。

【Note】ソコにあるモノだけで完結させる

読み終えた本のあとがきに考察が書かれていて驚いた。

僕は基本的に、というか、ほとんど、滅多に考察をしない。作品にあるモノの中でソレを完結させてしまうから。または完結させたいから。そこの世界の中で出来上がったものに、自分の考えや作り手の意図を詮索して濁したくないと思ってしまう。

とはいえ、作品の全てを肯定するわけではなく、ネガティブに感じるところはもちろんネガティブに思っている。つじつまの合わないところや、言い回しがおかしいところ、流れに沿っていないものなど、ルールから逸したものはもちろん不快になる。

しかし、バランスの悪いところは製作者の意図と捉え、その偏りに口出しはしたくない。

だから、「それはそれ」で基本的に問題はないし、「それはそれ」で楽しいと思っている。

 

物語の余韻に浸っている中で、あとがきの考察から一気に現実に引き戻された。すごくモヤモヤした気分でいる。あとがきは、その世界にはなかった要素だからだろう。もう他人の書いたあとがきは読まない。

【Note】ラジオ英会話を続けて1年が経った

前から英語に興味があり、ようやく重い腰を上げて取り組み始めた英語の勉強。

1年を振り返ってみると「まず始めること」が一番大変でした。ほかに苦しいことは特になく、楽しく続けられています。

 

 

ラジオ英会話を選んだ理由は、テキストが安かったこと。「ちょっと始めてみようかな」と500円からスタートできる敷居の低さが良かったです。さらにラジオやアプリでリスニングをしながら勉強できるのが大きな売りだと思っています。

英語に耳が慣れるというのは本当で、数ヶ月続けていると部分的に英語を聞き取れるようになりました。この感覚の変化はモチベーションアップにも繋がります。某ラーニング教材もあながち間違ってはいないのかもと考えを改めたほどです。

 

1冊500円ほどのテキストは長期的に見ると非常に高くなってしまいますが、新しいテキストを購入する時や、ひと月やり終えて次に移る時の達成感が強いのでそこまで気になりません。

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これだけ積み重なると達成感も大きい

僕はテキストと併せて「NHKゴガク 語学講座」のアプリを使用しています。

play.google.com

これを使用すればラジオがなくともリスニングが可能になります。また、月曜から金曜までの5回分を1週間のサイクルで好きな時間に再生できるのも助かります。一気に勉強するもよし。何度も繰り返して使うもよし。スマホさえあれば24時音声を使った勉強ができてしまいます。

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日にちを選択して再生します。もちろん巻き戻し、早送り、一時停止も対応。

このラジオストリーミングは1回15分というのもミソで、疲れ切った日でも、軽くお酒の入っている日でも、気分が乗らないときでも、勉強が難しすぎるときでも、最低15分聞いていれば終わってしまいます。

毎日万全の態勢で取り組めなくとも、とりあえずの継続も可能です。

 

始めたばかりの頃に、勉強の内容が理解できないことがたまにありました。それでもとりあえず聞いて、その日は良しとしていました。わからないを理由にやめてしまえばそこでおしまいです。しかし、聞いているだけでとりあえずその日はクリアとなれば、そこまでハードルは高くありません。

わからないものを聞く理由としては、ソレを勉強するために聞いているのだから、今はわからなくても仕方ない。そんな感じです。

それが功を奏して、コツコツ継続しているうちにぼんやりと構成がわかるようになってきました。

 

ぼちぼち足場ができてきた気がするので、2年目はもう少し足場を固めるのが目標です。どのようになるのか、楽しみです。

【Note】べつの角度から「人に頼る」が見えた

パニックを起こす人は「人に頼るのが苦手」なのが原因のひとつにあるらしい。

 

僕自身も数年前にパニックを起こしてから、「また起こる不安」が頭にこびりついていて、ふいに不安のカスが悪さをして支障が出ている。

つまるところ、「また起こる不安」よりも「起こってからの対処」が重要になるのだが、あの嫌な感じが再び起こるのは本当に不快で苦しい。心配になってしまうのは仕方がないとも思う。おそらくこの感覚は、経験者ならば理解してもらえるだろう。

そのパニックを起こしやすい人にある傾向が、頼るのが苦手との話を伺って驚いた。

 

僕は人に頼ることはそこまで苦手ではないと思っている。苦手ではないが、自分で済ませてしまうほうではある。頼る選択が頭になく、自分でやってしまおう、自分でやらなくては、みたいに考えることもあるので、おそらく「自分でやらなくては」なほうだと思う。

最近気付いたのは「自分がやらなくては」が実はミソで、これはつまり「人に迷惑をかけてはいけない」や「自分でなんとなしなくてはいけない」とも見ることができてしまう。

そう考えるとやはり僕は人に頼るのが苦手なようだ。

 

「パニックになったら周囲の人に助けてもらえばいいじゃない。だっておかしくなりそうなくらい苦しいんでしょ?救急車呼んでもらえばいいじゃん。」

そんなことを先生に言われたことがある。

僕の言い分は「どこかが悪いわけじゃなくて、パニックだからじきに治まる。救急車はもっと大変な人が使うべきだ」

たぶん、正論だと思っている。しかし、自分だっておかしくなりそうなくらい苦しい。助けてほしいと思う。

やはり人に頼るのは不得意なのだと実感した。

 

シンプルに「人に頼るのが苦手」という言葉では、たくさんある答えのイメージがつかみにくい。ちょっとずらして見ると、モノの見え方も変わってくるような気がした。

【Note】GoToキャンペーンでプチ旅行へ行ってきた

シルバーウィークにGoToトラベルキャンペーンを利用し、県内のプチ旅行へ行ってきました。プチもプチで、車で1時間ほどのところへ宿泊です。

 

「すぐそこ」なイメージから侮られそうですが、やはり家以外の場所は特別です。

普段食べないようなものを食べ、温泉にゆったり浸かり、慣れないベッドであまり眠れず、台風の影響で天気もイマイチ。一見苦笑いになってしまいそうですが、僕にはこれがとても楽しかった。

苦笑いこそが非日常であり、心地よい刺激だと思っています。予定通りに進行し、滞りなく楽しかったね!で終わる旅はどうも味気ない。

また、現在はコロナの影響でホテルや観光地に人が少なく、とくに観光名所では、普段外国人観光客でごった返しているところでも、今は人がぽつぽついる程度でした。ありえない光景に驚きです。

 

そして今回一番良かったのは温泉でした。

そもそもお風呂があまり得意ではないのと、他人がいると落ち着かないのでわざわざ行くような場所ではないネガティブな認識。ところが、温泉はコロナの影響で貸し切り状態。さらにぬるめのお湯で長時間浸かっていられたのが心地よくて感激しました。

お風呂=熱い。だから苦手。みたいな方程式が見事に崩れて、ぬるめのお湯にゆっくり浸かる方法を身をもって得られたのは大きかったです。これからはお風呂目当てに出かけるのもアリな気がしてきました。

 

とはいえ、移動できるのはまだ県内で、県外への移動は正直したくありません。せっかく出かけているのに歓迎されていないような息苦しさを感じる旅行はつまらない。

近場でも知らないところ、行ったことのない場所は溢れるほど存在するので、まずは近場から遊びに行ってみたいと思っています。

また、観光名所へ訪れるタイミングは今が最適なはずです。近場だからこそ、割引が適用される今がチャンス。ぜひ気分転換にどうぞ。

【Note】短編エッセイが楽しくて読みやすい

本はあまり得意ではないのですが、エッセイはしばしば読んでいます。

エッセイはそのときの情景を思い浮かべやすく、自分も体験しているような気分になれるので大好きです。

 

ここ数年、食に関心が出てきて、中でも甘いものがちょっと好き。

そのタイミングに書店で発見したのが「3時のおやつ」でした。

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続編の「ふたたび」も購入しています

「3時のおやつ」には、さまざまな人のさまざまなおやつのエッセイが書かれています。

おやつの定義も人によって異なり、その思い出や出来事も人によって違います。自分の知るおやつが懐かしく思えたり、知らないおやつをとても新鮮に伺えたり、おいしさに加えて状況や心情を感じられるのが、この本の醍醐味です。

さらに本書の最大の特徴は、1おやつにつき6ページの超短編だということ。

僕のように本が苦手なタイプでも気軽に読み始められて、気付いたらもっと読みたいと思える圧倒的な読みやすさがあります。

1つを読み終えたら休憩して、そのおやつの余韻に浸るのが僕の楽しみ方。そのため、1冊が思いのほか長持ち。

また、楽しく読むコツは、食後や満腹時を避けることです。お腹を空かせて読めば、より一層おいしく読み進められます。

 

これを機に短編集を探るようになり、先日は「3時のおやつ」と同じテイストの「夜更けのおつまみ」を購入しました。おやつとは違う、やや渋めの内容を夕食後に楽しんでいます。

 

おやつのように、おつまみのように、おいしいエッセイ短編集をちょっとつまんでみませんか。本が苦手でも小腹が空くこと請け合いです。

【Note】そこに「いる」難しさの答え

僕はしばしばそこにいるのがつらくなる。

誰かに何かをされるわけでなく、僕自身に何かが起こるわけでもない。ただなんとなく感じる居心地の悪さ。落ち着かない感じ。

この嫌な感じはどこから来るのだろうと「いる」について、本を探してみた。

 

そこで見つけた「居るのはつらいよ」を衝動買い。ドンピシャなタイトルだった。

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店頭にはなかなか置いておらず、見つけたときは嬉しかった

本書はデイケアを舞台に、さまざまな「いる」にフォーカスしているエッセイ(ガクジュツ書)だ。著者は心理士で、僕好みの視点でもあった。

内容も素晴らしく、その場にいるような臨場感と、グイグイ引き寄せられる展開に、僕らしからぬペースで一気に読み終えた。

その中で強烈だったのがこの一文。

環境に身をあずけることができないときに、僕らは何かを「する」ことで、偽りの自己をつくり出し、なんとかそこに「いる」ことを可能にしようとする。生き延びようとする。

この文を読んだときに思わずヘンな声が出てしまい、居ても立っても居られなくなった。

そう、これなのだ。今までなんとなく感じていた居心地の悪さ、立ち去りたい焦燥感、それらの答えはおそらくコレ。

僕は「なにかしなきゃ」にも憑りつかれている。時間があれば、暇さえあれば、何かしなきゃと落ち着かない。もちろん、時間を無駄にしなくない強欲さからではあるが、「環境に身をあずけることができない」ことにも、身に覚えがありすぎた。だからパズルのピースがハマるような快感に本当に驚いた。

 

具体的なイメージを得てから、水の上にちょこんと浮いている油のような、一緒にいるのに、その空気に紛れ込めていない、そんな雰囲気を想像できるようになった。すごく腑に落ちる。

 

ではどうするか。そんなことをぼんやり考えていたが、たぶんどうもしなくていいと、すぐに割り切れた。

答えがわかったところで全てに対応できるようにはなれないから、落ち着かないのは馴染めないからだと、納得できればそれでいい気がする。

 

【Note】ゆっくりと散歩をする

僕はどうも忙しない。しなければならないことがあるわけでもないのに、何かしなければとソワソワしている。

仕事が終わったあとの時間は、解放された時間を無駄にしないようソワソワ。

休みの日は自由な時間を無駄にしないようソワソワ。

時間にやらされているので、リラックスしているつもりがかえって疲労になったり、好んでやっているつもりが苦しくなったりするから大変だ。

 

この慌ただしさを整えるのに、ゆっくりゆっくり散歩することを心掛けている。

以前は散歩も、ウォーキング寄りの忙しいものになっていた。アプリで監視しながら、ペースを落とさないよう、止まらないよう、常に気を付けて。

次第に「歩き続けなければならない」に囚われていき、散歩に楽しさはほとんどなくなっていた。あるのは義務と自己満足だけ。

 

囚われの中でも、歩いていると楽しさを感じられるときがあった。強い風を感じたり、生い茂る草木が見えたり、焦げ付いた食べ物のにおいがしたり、真っ暗な夜空を眺めたり、歩くことから視点が移ったとき、ものすごい楽しさを感じられる。

そのときに「もしかして歩くことを楽しめていない?」と客観的に受け止めることができた。

 

それからはゆっくりとするのが散歩の目的となり、アプリで記録するのはゆっくりした時間になった。

散歩したあとは荒立っていた呼吸が整い、余裕が生まれて視野も広がる。本当に呼吸がラクで、穏やかな気持ちになる。

 

ザラザラとした落ち着かない感覚は取り除きたいが、これも自分だから仕方ない。仕方ない。

【Note】ステイホームで映画を見る

4月末あたりから本格的に外出自粛が始まり、そろそろ3か月が経つ。

「自粛」とはいえ、実質家にいなければならない状況は相当なストレスであり、何気ない外出でも気分転換になっていたことを痛感する。やはりさまざまな方面でアクションは欠かせない。

 

そんな息苦しい日常を紛らわすには、手っ取り早く別世界へ行ける映画がオススメだ。

何か新しいことを始めるにも費用がかかる。毎日が雨でちょっとそこまで行くのも億劫。そもそも何をしたら良いのかわからない。じゃあ映画を見よう。

 

飲み物やおやつを準備して、スマホを少し離れたところに置く。あとは再生して眺めるだけ。物語は自分の意思に関係なく始まっていくので、受け身で楽しめるのが何よりのポイント。

家では気楽に観られるのも良い。つまらなければ途中でも止めてもいい。寝てしまってもかまわない。トイレへ立ってもいい。おやつをもっと取りに行ってもいいし、べつにスマホを操作しながら観たっていい。

とにかく、ちょっと日常と違う世界を覗くことがネックとなる。それが刺激となり栄養となり、また明日もぼちぼち頑張ろうと思うエネルギーになったりする。

 

外出による刺激が得られない今、こういった方法で心の渇きを潤しているのだが、いい加減厳しくなってきているのも否めない…。

【Note】回転寿司での人間観察

趣味は人間観察。とくに回転寿司のカウンター席を眺めるのが好き。

回転寿司にはさまざまなメニューがある。そのなかでも人間観察に大事なのは品数だ。ファミレスなどでは、たとえばカレーを1つ頼んで終わってしまったりもするが、回転寿司の場合は、1つで終わってしまうことはまずない。この人が何を選び、どれを食べるのか。それをちらっと眺めるのがとても楽しい。ちなみに顔は見ない。

いかにもたくさん食べそうな人が数皿しか食べない。こじゃれたお兄さんがとてもゆっくりなペースで5皿ほど食べておしまい。寿司よりもサイドメニューばかり食べるお姉さん。酒ばかり飲んでいくおじさん。高い皿ばかり食べる奥様。強烈な例が浮かないのだが、とにかくいろんな人がいるのを感じられる。

それがカウンター席であれば個人単位で伺える。テーブル席はまとめられてしまうのでつまらない。

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僕は温かいごはんが好きなので、寿司はあまり食べなくなった。わりと麺類を注文することが多い。

観察する部分は食べ物だけに限らない。紙ナプキンや箸、しょうゆなどの扱い。立ち去るときの皿の具合など、その人柄を食べ終えたあとに垣間見る。

 

もちろんそれを見たからどうなるわけではない。ただ単に「こんな人がいる」と自分以外の存在を認めたいだけの観察。

書いてて思ったが、これを文字で説明するとやばいやつだ。

【Note】箸の持ち方を正した

気になっていることを少しずつ改善しようと奮闘中。その1つが箸の持ち方です。

祖母からは子どもの頃に直せ直せと口酸っぱく言われてましたが、これまでの持ち方に不自由はなく、覚えなおす正しい持ち方は当然扱いづらい。結局すぐに投げだしていました。

母曰く「自分も持ち方がヘンだから強く言えない」とのことで、自分もヘンだからこそ正してほしかった…。

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箸を交差させて持つスタイルでした

今この写真を見るとおかしさに笑ってしまうのですが、どうやらこれが持ちやすかったようです。

明らかにカッコ悪いので直したいと思う反面、毎日欠かせない箸の扱いにくさに耐えられる自信もありませんでした。

そこでふと、子ども用の箸の補助具はあるのに、大人用はないのかと検索。やはり大人用も存在していて、昨年末に店頭で発見。即購入しました。

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鉛筆の補助グリップみたいな感じ

この箸のおもしろいところは青いグリップ。かと思いきや、実は箸が分離しないところでした。

個人的に難しいのは、手の中に入っている箸(グリップのない方)の固定。

普通の箸では内側の箸が固定できず、するっと逃げてしまいます。薬指の支え方に慣れていないのでとにかくそこが滑る。また、無理やり箸を固定しようとするため親指の付け根の筋肉が痛くなったりもしました。

この箸を使ってみると、グリップのおかげで力を込めずに握ることができ、もう1本の箸も並んで支えられているので予想以上にストレスがないです。

これを眺めていた人の意見では、正しい持ち方のカタチに慣れる感じだね、とのことでした。

 

主に夕飯で使用して3か月。普通の箸でもなんとか正しい持ち方で食べられるようになりました。

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スッキリとしてスタイリッシュ

持ち方を変えて大きく変わったのは、基本動作が「すくう」になったこと。これまではとにかく挟んでいたのがすくうに変わったため、麺をつかむがなかなかうまく行きませんでした。納豆や大根おろしなどは、いまだに苦手かもしれません。

そのほかにいろいろ感じたこともあるのですが、言い表すのが困難なため割愛です。これは動画で解説した方が早そう。

 

半年ほど経った今では、正しい持ち方で問題なく過ごせるようになりました。まれにある扱いの難しい食べ物も違和感程度で済んでいます。それも練習と思えば楽しくなってくる不思議です。

 

ずっと先延ばしにしていたことがようやく解消できた喜びと、箸の持ち方大改造はなんだかんだでおもしろい体験ができたと思います。

箸の持ち方に悩んでいたら、ぜひ補助具をお試しアレ。

 

【Note】コーヒーをおいしく淹れるためのメモ

家でもそれなりにおいしいコーヒーを飲むための試行錯誤。めんどくささも次第に薄れてきて、慣れや作業感を感じるようにもなってきました。しかし、ミルで豆を挽くのはなかなかめんどくさい。使ったあとの掃除が本当にめんどくさい。

【Note】めんどくさいと思いながらコーヒーを淹れたい - おまめモ

少しずつあれこれ試してみて、地味だけど結構大きいかもしれないポイントを置いておきます。

 

1つめはお湯の温度。

やはり高温で淹れたほうがおいしいです。お湯を沸かす、お湯を沸かしなおすくらいでおいしさを入手できるなら、ソコにめんどくささは生まれません。

 

2つめはコーヒー豆の鮮度。

挽かれてある豆はどんどん湿気を帯びていき、酸化していってしまいます。開封したら本当に早いです。よく言われてる「なるべく早く飲み切る」のはなかなか難しいので、ジップ付きのビニールバッグやカンカンのキャニスターなどに閉まっておくと多少は酸化を遅らせられます。しかし、それでも日に日においしさは失われていくので、やはりなるべく早く飲み切るのが最善の方法。

もう1つ大事なのは、挽かれた豆をスプーンですくうとき、なるべく上から削るようにして取ること。奥からかき混ぜてしまうと空気を入れてしまい、ますますおいしくなくなってしまいます。

 

3つめはコーヒーポットを使う。今回のメインです。

一見不要に思えるコーヒーポットなのですが、使ってみるとまるで違って驚きました。

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3ヶ月ほど前に購入。コーヒーを飲むのに欠かせなくなりました。

お湯の注ぎ方をいくら勉強しても、普段使っているヤカンでは注ぎ口が大きすぎて湯量の調節に苦労しました。上手に傾けてチョロチョロ出るようにしたところで、今度は高さができてしまいボタボタと跳ねてしまいます。

ヤカンに限界を感じて購入したコーヒーポットは、カップ1、2杯分のお湯しか入れないので非常に軽く、湯量の調節もラクチン。とろとろとゆっくりお湯かけるのも容易になりました。

ドリッパー、軽量スプーン、コーヒーミルなど、あれこれ物色していて、一番の盲点だったのがコーヒーポットです。ドリッパーは持っていても、コーヒーポットを持っていない人は多いのではないでしょうか。雰囲気も楽しめますし、何より味に大きい変化が出るのでオススメです。

コロナウイルスのせいで外で飲む機会も減ってしまい、最近は刺激の薄いコーヒーライフになっています。少しでもおいしく刺激的にコーヒーを飲めるよう、また、息苦しい社会でのんびりとした時間を過ごせるよう、楽しいコーヒータイムの試行錯誤中です。

【Note】気になる電池残量を非表示にした

スマホの電池残量が気になる。お昼あたりで79%以下になると不快だ。

最近のスマホは電池持ちがだいぶ良くなっているので不快感はだいぶ減ったが、それでも気になるこの数字。

電池を切らさないよう大事な目安として表示し続けていた電池残量。しかし、その一方で数字によるわずらわしさも強烈にある。そこで試しに非表示にしてみた。

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電池関連でオンオフにできる。

右上にずっとあった数字がなくなっただけでスッキリした感じがある。何より電池の残量がそこまで気にならない。これには本当に驚いた。

数字がなくなって電池切れを起こすこともなく、うっかり充電を忘れてしまうなんてこともない。かえって電池を気にしなくなった分、心に余裕ができたと感じるくらいの変化がある。

ものすごくわかりやすい数字は良いようで悪い。神経質な僕にはやはり「だいたい」が良いらしい。

【Note】意味のあること以外をスル

小難しいことを考えるのが好きな僕は、常に意味を求めています。

それがこの頃になって、意味を感じることに息苦しさを覚えるようになりました。意味を強く求め続けて生きてきたため、意味のないことをしているつもりが、気付けば盛大に意味のあることをしようとしている自分がいます。そこから抜け出すのは容易ではありません。

同じようなことを考えている人はいないのかと探し、1冊の本と出合いました。

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タイトル通り、無意味を勧める本です

無意味に意味を持たせようとしてはいけない。哲学的なフクザツさを伴う本です。とはいえ、なかなか読みやすく、共感できる部分もたくさんのおもしろい内容でした。

なによりも、意味に殺されないよう、無意味を求めることの後押しをしてくれる人がいる事実に助けられました。

 

これまで何をするにも意味を考え、理由を考え、考えに考えて生きてきました。

なので、意味のないことをするのはとても怖いです。意味のないことは、これで合っているのか?などと正解を求めてしまったり。

本書にも『無意味と遊ぶには、常識の埒外に一歩踏み込む勇気がいるのかもしれない』とあり、やはり勇気も必要なようです。

このほかに、あとがきに書かれていた美術の話も印象的でした。ここ最近で僕が大事にしている感性に通じるモノがあるようです。

 

と、意味のないことをしても良い、むしろするべきだと後押しをしてもらってから、心に余裕が生まれ、しょうもないことをより積極的に行えるようになりました。

今さっきにはチョコを舐めていました。普段なら何も考えずにバリバリボリボリと噛み砕いてしまうチョコを、舐めてみたらどうかと。これまたおもしろかったです。

 

意識的に意味のないことをするのは、ラクに生きるための鍵と考える、気持ちの切り替えもポイントなのかもしれません。

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