おまめモ

おまめがメモをしています

【Note】これは自分の人生

先日どこかで見かけた「自分の人生の主役を子どもにすると楽に生きられる(意訳)」をずっと反芻している。楽に生きるのが下手すぎるため、目から鱗だった。

今もちょうど自信喪失の沼にハマっていて、自分がどうありたいかよりも、振る舞いの正しさが浮かんできてしまう。その都度自分の気持ちがイチバンだと言い聞かせているが、言葉一つ発するのに結局遠回りしてしまうのに自己嫌悪。次第にどんどん口数が減ってしまう。

問題解決のため、素直に自分の思うことを言うのはもちろんわかる。しかし今は頭の中に言動を監視している、自信のない自分が居座っている。もうさっさと退去してほしい。

頭と体が一体化している、やりすぎた、言い過ぎたとなる人がうらやましい。これらは自分自身の反省となるが、僕の場合、言動を周りに合わせ、自分の気持ちにブレーキがかかりまくっているから、スッキリとした反省が生まれてこない。自分から出たアクションじゃないからこそ、また歪な後悔が生まれてくる。そもそも一体化している人は、僕が思うほど、この手の反省を行っていないとも思う。

 

そんな苦しみから目を背けるために、子どもが主役の人生を送れば。そんなふうに先程の言葉を捉えてしまう。

目を背けるため。

 

しかし、これは少し違う。自分の人生は自分だけのものだし、苦しみから逃れるためなどと考えられた子どもにだって、申し訳ない気持ちになる。もちろん、子どものためにも使われていく人生だが、自分の人生があっての子どもため。バランスが逆転することはない。

子どもがいれば、十分な割り切れる理由になるとは思うけど。

つらいが魂を磨くのだ。

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