僕は「アナタ」と呼ばれるのに物凄い抵抗がある。子どもの頃、父が説教を行うときに僕のことを「アナタ」と呼んでいたからだ。ただでさえ苦手な父なのに、さらに説教の苦い要素が加わった環境下の「アナタ」は強烈な代名詞となった。貴方が付けた名前があるのに何故わざわざそのように呼ぶのだろうと不快に感じていたのを思い出す。
その影響で、人から「アナタ」と呼ばれるのに強いストレスを感じてしまう。過去に体調不良で病院へ行った際にも「アナタ」と呼ばれ、不調よりも苛立ちが出てしまったこともあるくらいイヤな呼ばれ方だ。
これらのことから、僕は必ず人を名前で呼んでいる。自分がされて嫌なことは人にはしない。使うときは父と口論になったときに「アナタ」と返すときくらいだ。
そんななか、僕が子どもへ「きみ」と呼びかけていてハッとした。
「アナタ」も「君」も代名詞だが、よそよそしい「アナタ」に対して「きみ」はまだ距離感は近い。ドラえもんがのび太に「きみ」と呼びかけるくらいだからネガティブな意味合いはないと思う。僕だって子どもに対してそのような意識があって「きみ」と呼びかけたワケではもちろんない。
僕のことを「きみ」と呼ぶ恩師がいるが、関係性は悪くはない。むしろ良い。その恩師からはいつも温かく声をかけてもらっている。その温かみのある代名詞が「きみ」なのではないかと感じている。しかし、名前でなく「きみ」と呼ぶ理由は何なのだろうか。次回あった際に覚えてみたら尋ねてみようと思う。
僕が子どもをわざわざ「きみ」と呼んだ理由について考えてみた。おそらく直接子どもに語りかけたわけではなく、少し距離をとった場所から、無責任に語りかけた言葉なのではないかと思う。別の言い方をすれば、意味のない語りかけ。
それから僕は子どもに対して「きみ」と呼びかけていない。また誰かに「きみ」と呼びかけたときに、このことについて考えてみたいと思う。