嬉しいことに、この頃体調が良いです。それに伴ってメンタルの調子も良い。
そうなってくると周囲への目の向け方も変わって来る様子。不調時に気にしていた食事や睡眠、その他細々とした数えきれないことが、環境が一変してほとんど見えなくなっています。一般的にはこれがフツウの状態でしょう。僕はもう何年も体験していなかった状態だったために戸惑い気味です。
ヘンな話、このフツウ状態がどうも怖い。そして寂しい。「げんきになって良かったじゃん!」では済まされない、済ませたくないように感じています。
もちろん不調低空飛行状態が続いて良いわけがない。自分の弱い部分を共感したい、共感されたいなどでもない。おそらくフツウだったとき、不調のとき、どちらの立場も知っている状態であったのに、フツウ寄りになってきて不調時の感覚が薄れていくのを寂しく感じているのかもしれません。
僕はどちらの立場も知っている人間でありたいと常々考えてきました。しかし、リアルタイムで動き続けているナマモノに対して、それはなかなか難しいことなのかもしれません。とはいえ、これまでくすぶっていた経験はなくならないですし、埋められない時間の穴でもあります。さらにこの状況が二度と起こらない保証もない。
今この状態は、人に対して気を遣うより、もっと自分に対してエネルギーを使うべき切り替えのタイミングなのかもしれません。
具合悪いがあまり起こらなくなって、これは当然嬉しいことなんだけど、具合悪い群から脱してきてるのがどこか寂しいような気もしてる。ヘンな話なのは承知の上で。つらいときに「そうだよねわかるわかる」みたいなのから離れて来てる感覚。
— おまめサン (@omamemame3) 2019年2月7日
背中を押すような立ち位置でありたいのに、先に進んで見えなくなっちゃってるような。たぶんこれはこれで良いんだろう。自分の速度で動いて。きっとまたエンジントラブルヘルプミーみたいな人と出会うんだろう。
— おまめサン (@omamemame3) 2019年2月7日
これからも僕はいろいろな人と出会っていきたい。そんなふうに視野を広げられるようになってから、何気ない日々がとても楽しく感じられています。唐突に「死にたくないなあ」と謎のボヤキが出るくらい。
調子が良くなって次のステージへ行ける時なのだと感じています。
ここまでのことは、おそらくフツウ状態にある人にはあまり刺さらない話なのだと思います。
花粉症の人がこれから花粉に敏感になるのに対し、そうでない人は花粉に関心がない。足の不自由な人が段差の気にするのに対し、そうでない人は段差を気にも留めない。ラーメンが大好きでお店を見つけるとすぐチェックする人に対し、そうでない人は店の存在にすら気づかない。
これまでの経験から人にはそれぞれの視野があって、それはおそらく良い悪いではないのだと思いました。