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【Game】子どものころに出会うゲームの大切さ

探し求めていた聖剣伝説レジェンドオブマナのサントラをようやく入手できました。今それを聴きながら書いています。

聖剣伝説レジェンドオブマナは中学生のときにドハマリしていました。毎日早起きして早朝から遊んでいたのは、それだけ楽しかったからだったのでしょう。

こんなに大好きなゲームでも評価は賛否両論あります。この答えは「自分が楽しければ良い」に尽きるのですが、僕自身名作と呼ばれるものを大人になってからプレイすると、案外首を傾げるものがたくさんあって驚いています。

大好きなMOTHERシリーズも、好きな人もいればそうでない人もいます。今プレイして、レベル上げが難しい。バランスが悪い。話の意味がわからない。単純に自分に合わないだけでなく、それよりも重要なのは大人になった頭、大人になった心に響かなくなっていることだと考えています。

 

頭がやわらかく感受性の高い時期だから、深々と刺さる芸術品、創造物の1つがゲームです。自分に合ったものはかけがえのない作品へと昇華されます。

僕にとってその1つはMOTHER2でした。周りの友だちに遊んでいる人はおらず、僕が持っているMOTHER2のソフトはつまらないからと友だちから譲り受けたものです。譲ってもらったときは本当に嬉しかった。今でもその場面をハッキリ思い出せるくらいです。

MOTHER2のほかに何度もクリアしたのは聖剣伝説3、そして聖剣伝説レジェンドオブマナ。聖剣伝説シリーズも、MOTHERシリーズに似たような、やわらかいけれども厳しい世界観。そこ惹かれているのだと思います。

そのとき感じた物事が今の僕を形成しており、「確かにMOTHERシリーズが好きそう」「そういえばMOTHER好きでしたよね?」など、何か近いものを感じる人がおもしろい言葉をかけてくれます。

 

このような体験から、子どものころに触れるゲームを含めた芸術品、創造物の大切さについて考えるようになりました。

頭が固くなってしまったからこそわかる、子どものやわらかさです。

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