書籍の初動についてのツイートから感銘を受け、今でも心の奥底で響いています。
眠すぎるので遺書的にラスト呟くと、本当は「面白いけど初動が微妙なもの」の価値を守っていくのが多くの人に嫌われる批評という仕事の重要な役割なんだけど、真にいい批評は消化に時間かかるので、高速性極まったネット世界と相性悪すぎるので、どこかに「遅い世界」を求める必要は絶対にあるよ。
— 坂上秋成 (@ssakagami) 2016年10月12日
情報の高速化は今日何事にもいえることであって、少々うんざりしていた中から見つけた言葉でした。
僕の解釈はズレていると思いますが、「今」だけでなく、いまさらといわれるような、遅い世界のものに触れることで、今でないときの楽しさを感じています。
僕は新しいもの好きな反面、古いものにも興味があり、最近では80年代、90年代のマンガをよく読んでいます。「いまさら」といわれることもありますが、僕にとっては知らない世界なので、いまさらではなく「新しい」世界。そして、その感想をいまさらブログに書いたりしています。認知度のある古い作品の感想を書いたところで、アクセス数は見込めないかもしれません。しかし、僕のようにいまさら興味をもって調べてくる人がいるかもしれない。読んだ記事をキッカケに本を手にとってくれるかもしれない。そんなことを思うと、自分が感動をした古い作品の感想も書きたくなってきます。
今はキン肉マンを読んでいて、何故昔あれだけ流行ったのか、納得しながら楽しく読み進めています。現代の作品にはない時代背景や表現方法、絵の雰囲気、口調などなど、子どもを虜にする技法で、気付けば僕も虜にされていました。
また、ゲームもFFやDQの過去作をプレイしています。
ファミコンやスーパーファミコンのソフトでも、今はスマホや3DSなどに移植されており、ドット絵や理不尽な難易度に手は加えられているものの、ゲームを楽しむことができるのはとても嬉しいです。
先日には2004年に発売されたDQ8の移植版をクリアしました。それこそ中途半端に昔なため、敬遠対象になりそうな作品。
DQのナンバリング作品なだけあって、しっかり作り込まれており大満足でした。常に最新版を追い続けるのも良いですが、過去作からシステムの変化や引き継がれるストーリーを体験するのも新鮮です。
シンプルな昔のゲームに手を出してみるのもおもしろく、ファミコンソフトはとくにおかしな難易度のものばかり。当時の子どもはこんなゲームをしていたのかと驚けます。3DS等でダウンロード購入ができ、ハードがなくても遊べる時代に。スバラシイです。
映画も新しいものより古いものを好んで観ています。ここ数ヵ月ではシザーハンズや無印のジョーズが印象的。
本もゲームも映画も、名前は知っているけど、内容の知らない作品をゆっくり消化していくのが今の楽しみ。僕はこのあたりの趣味ですが、焦点は人によって異なります。ぜひ自分の世界を探してみてください。
ツイート内容と、今回書いた内容はやはりズレていますが、速いだけが良いワケではないのに気づかされた鋭いツイートでした。
散々出尽くしたモノの感想を改めて書くのは不要なのか。僕はきっと必要だと思います。モノの感じ方は人それぞれで、その文を読んだ受け取り方も千差万別。だからこそ、あまり読まれないようなブログにも記事を書く意味はあって、それは遅いも速いも存在しないのだと思います。