タイトル通り、目の前の不安に囚われていると先にある楽しみが全く見えなくなります。
このことに気付いてハッとしました。
たとえば、明日飛行機で沖縄へ旅行に行く。しかし飛行機が不安で不安でたまらない。
墜落したらどうしよう。あんな鉄の塊が飛ぶのが怖い。飛んでいる間は動けない。などなど不安になる理由は人それぞれでいくらでも挙げられます。
全く理解できない人もいるでしょうが、不安になる人もたくさんいるのです。
いざ飛行機へ搭乗。ドキドキしてはいるものの、99%何も起こらず無事に終わります。
案ずるより産むが易し。頭の中でネガティブ物語が作り上げられても、結局何も起こりません。
これがおそらくフツウな人の場合。
僕のように不安要素を必要以上に考えてしまう人の場合は、せっかくの沖縄旅行なのに飛行機が怖いから行かない。こんなところまで陥ってしまうこともしばしば。
これは不安障害の弊害だよねといわれて、なんだか人生すごく損をしているとも気付きました。
そこでひらめいたというか、本を読んで気付いたというか、新しく発見できたのが目の前の不安よりも先にある楽しみに注目すること。
僕は目の前の不安、この場合は飛行機が怖いことに囚われすぎてしまい、沖縄へ着いたあとの楽しみは一切頭の中にありません。
飛行機で何か起こったらどうしよう→やり過ごす対象方法を考えなきゃ→飛行機乗らなくて良い方法はないのか→怖いなら行かなくていいじゃん。このような流れになります。
もう頭の中は飛行機でいっぱい。その先の楽しみを微塵も考えていないのに気づいてパッと目の前が晴れたような気分。
飛行機で何か起こるかもしれないけれど、99%何も起きない。
1%何か起きるかもしれない要素をあれこれ考えるよりも、沖縄で楽しめることに没頭していたほうがどれだけ楽しいか。
目の前の不安要素を潰すには先にある楽しい結果で上書きすれば良さそうです。
少し違う見方では、僕はインドア派なので基本的に外出は嫌い。とくに目的のない外出は嫌いです。
出かけようと声をかけられ2時間も車で行ったところが目的地だと聞くと、用事もないのに、とめんどくささが溢れてきます。
しかし、行ってみると行ってみたでおいしいもの、きれいなもの、楽しいことがたくさんあって、ルンルン気分で帰宅します。
出かける前のめんどくさいネガティブな気分が、目的地にある楽しさを見えなくしていて、実際に行くと楽しさがわかる。
これにも同じようなことがいえると思います。
歌詞も意味も諸説ある「行きはよいよい帰りは辛い」というのがずっと謎でした。
僕は行きがだるくて帰りはとても早い。
今思えば、行きは面倒とか行きたくないとかネガティブな気持ちがあって、帰りは楽しかったとポジティブな気持ちだから早い。
これが行きから楽しい気持ちMAXであればきっと歌詞の通りに行くのでは?と考えていたり。
この歌詞もフクザツでよくわかっておらず勝手な解釈です。
結果重視で生きてきて今は過程を大事にしていますが、行動を妨害される不安な過程ならばいりません。
しいていえば、何も起きなかった。の過程の結果は重要かもしれません。
楽しい結果だけを頭においておけばこれからの人生たくさん楽しめそうです。
ただもう少し訓練が必要な気もします。
頭ではわかっていても体が付いていかない場合もあり、そこは少しずつ慣らしていきながら。です。