ゲームは楽しんでなんぼです。
今でこそ緩く楽しむことを覚えましたが、中学生後半から「完璧にクリアしなきゃ」と謎の義務感と誰も得をしない見栄が生まれて楽しめなくなったように思います。
楽しむはずのゲームが気付くと苦行のような作業になっていました。
苦痛に近かったゲーム
中学生まではそこまで完璧クリアを意識しておらず、中学生の終盤あたりにインターネットで情報収集できるようになってから完璧クリアに目覚め始めます。
わかりづらい部分の攻略は逐一印刷。
溜まりに溜まったマンガより厚みのある紙の束が今も押し入れに眠っています。
フツウなら見逃してしまう深い攻略もネット世界には公開されていて、隠しダンジョンや高難度の課題を黙々とクリア。
誰に見せるわけでもないプレイデータをひたすら磨き上げていきました。
辞書サイズの分厚い攻略本を購入して、ミスのないよう確認しながらひたすら進む。
ある程度進んだあとに、取り返しのつかない取りこぼしを見つけると落胆しセーブデータを消去。
消去の繰り返しが最も多かったのがFF10-2で、進んでは消しての繰り返し。
最終的には投げ出しました。
そんな作業の感覚でプレイしていたからか「あのゲームのストーリーが良かった」という記憶はゼロです。
「あの敵は強かった」「あそこは難しかった」「あのアイテムはしっかり取った」などのかなり絞られたポイントの記憶ばかり。
ストーリーよりも、いかに問題を潰していくかに特化していたように思います。
Twitterで「○○のストーリーはスバラシイ」とプレイ経験のあるゲームの話題を目にしても、断片的なうろ覚え。
よく覚えているなあと思う一方で、いかに自分がゲームを楽しめていなかったのかを痛感しました。
ライトなプレイスタイルのゲームへ
FF10-2でRPGは懲りて、MMORPGやアクションゲームばかりプレイするようになっていきました。
MMORPGはライトではありませんが、終わりがありません。
取り返しのつかない事柄もありません。
そもそもオートセーブなので、ミスしても戻れないのがかえって割り切れるキッカケになった気もします。
アクションゲームもその場その場で終わっていくモノで、気楽にプレイできていました。
スマホゲームもその一つで、終了しない限り終わりがありません。
完璧を目指せないのがポイントです。
図鑑をコンプリートするにも、スマホゲームではガチャを回さなければならず、どれだけお金があっても足りません。
せいぜい気になるのはバトルの勝率くらいですが、負けも含めて勝率と考える僕には勝ちも負けも1プレイ。
バトル総数のほうを重視していました。
RPGから少し距離をおいているうちに考え方が変わってきて、ようやくゲームの本質である「楽しさ」を見るようになってきます。
気楽なプレイで楽しく遊べるようになった
現在プレイしているスマホのFF6でもやり込み要素が存在します。
攻略情報を眺めてみると、ストラゴスの「おぼえたわざ」の全習得は、頑張ればできなくもないかもしれない。
しかし、ガウの「あばれる」の全習得はリストを見ただけで気が遠くなりました。
とにかく数が多く、期間限定のタイミングだったり、1体しか出てこないモンスターが条件だったりと、とにかく手間がかかる。
これらのコンプリートはGoogle Play ゲームの実績として蓄積されていくもので、オープンにされるモノこそ頑張ってコンプしなければならないはず。
それがもう十分に楽しめているから、「べつにいいかな」と思えるようになりました。
あるぇー、シャドウがいない #FF6 pic.twitter.com/ZCFaiFr1zt
— おまめさん (@omamemame3) 2015, 9月 19
仲間だったキャラクターが、僕の選択ミスで仲間から外れてしまったときも、「やっちゃった」程度で済ませるようになりました。
昔の僕なら相当落胆してたでしょう。
長い時間を経て、ようやく楽しく遊べるようになれました。
さいごに
相変わらず完璧を目指すところはどこかにあって、それでも「今回はダメだったけど次に狙ってみよう」と少し柔軟性が出てきたように思えます。
次が実際に来るかはべつとして、失敗や見逃しが許されないことではなくなったのが自分の中で大きな変化、成長です。
振り返ってみると「なんてあんなことにあそこまで」と考えることがたくさん浮かび、数々のゲームを楽しめていなかったのが心底残念でなりません。
完璧を目指すのが楽しいならまだしも、楽しくないのに目指していたのは本当に意味がわからない。
これからはストーリーを楽しんで、ゲームシステムを楽しんで、音楽やデザインにも目を向け幅広く楽しめていけたらと思います。
僕には苦痛でしかない完璧クリア思考から解放されて本当に良かった。
ゲームは楽しんだもの勝ちです。