僕は10代後半からしばらく引きこもりのような生活をしていました。
部屋から、家から一切出ないのではなく、精神面が影響して体調が不安定になり、それが怖くて外へ出られない。
調子が良いときには1人で電車に乗りふらふら出かけたり、家にいればわりと安定して過ごせていました。
外に出ると何かが不安になって具合が悪くなる。そうなってくると次第に外へ出たくなくなってきます。
出たくないと思う一方で、好きなアーティストのライブへ行きたい、お店のセールへ行きたい、友だちと遊びに出掛けたいなどなど、外へ出たいときももちろんあります。
気持ちと体が一致せずに歯がゆい思いをたくさんしました。
ちょっとしたキッカケで今の相方さんと出会い、ずりずりと外へ引き出されていきます。
まずは家の周り、少し慣れたら5つ駅が離れたところ、続いて拓けたところへ。
そのうち、東京へ出るようになり、今では山梨に住んでいます。
たった2行で済ませている、今に至るまでの過程は5年ほどを要しました。
山梨へ行ったとき、初めて自分の目で見た富士山はまさに圧巻。
ずっと「すげーすげー」と連呼。見えるたびに大興奮です。
これが初めて撮影した富士山の写真。
全く迫力が伝わりませんが、実物の日本一の山はすごいです。
誰もが知っている富士山は、テレビや写真で一度は見たことがあるでしょう。
メディアに掲載される写真で感動を覚えられるなら、実物を見たら確実に言葉にできない感動を味わえます。
今ではある程度見慣れて来ましたが、雲がうまい具合にかかっていたり、完全に晴れていたり、霞んで見えたり、雪を被っていたり、ただの山なのにやはりどこか感動してしまう不思議。
この感動は部屋にあるテレビ、写真、インターネットでは体験できません。
今回話題に出したのは富士山ですが、実物で見え方が変わるのは何にでも言えます。
たとえば、テレビで見たラーメンがとてもおいしそうだったから食べてみたい。
そして実際に食べてみた。イマイチだった。
べつの気になるラーメンを食べたら、予想以上においしすぎて必ずまた来たい。いろんな人に知ってもらいたい。
結果がどうであれ、体験した事実が経験となり思い出となります。
画面などの情報では味わえない体験。
この体験はラーメンを食べた結果だけが重要なのではなく、ラーメンを食べに行って帰ってくるまでが体験です。
・今朝はうまいと評判のラーメンを食べるから朝食は抜いてきた。
・ラーメン屋までは電車に乗って1時間もかかる。冷房ききすぎ。
・駅から店までも遠くて足が疲れた。でも、途中でテレビに出てる人とすれ違えた。ホンモノ?
・ラーメン屋に到着。注文してから出てくるまでとても早い。
・味はイマイチだった。期待ハズレで残念。
・駅までまた長い道を歩く。芸能人?まだいるかな?ドキドキ。
・芸能人?はいなかった。歩き疲れたから電車で休もう。行きは寒かった冷房が快適。
これらは全て僕の妄想ですが、家にいるだけでは絶対に体験できないことがラーメンを食べに行くだけで、このようなことがあるかもしれません。
結果だけを求めてしまうと、味が全てになってしまいます。
普段家から出ない人こそ過程も楽しんでほしい。
興味は熱しやすく冷めやすいです。
鉄は熱いうちに打てというように、思い立ったら即行動です。
本当に外に出る理由なんてなんでもOK。
テレビで気になる本を見つけた。そろそろ桜が満開になるから見に行こう。あの映画おもしろそうだから行ってみよう。美術館の○○展が楽しそう。
興味があること、気になったことがあれば、理由はそれで十分です。
さいごに
僕のように体調が不安定な人は体調との兼ね合いでやや慎重に出かけるのをオススメします。
まだ耐性のないうちに飛び出して、それがかえってダメージになってしまっては、出ようと思った気持ちがもったいない。
自分のタイミングで外へ出てください。
僕もタイミングが合致せずに何度もつらい思いをしています。が、なんとかなっているのも事実。
まずは無理をしないで、タイミングとチャンスを見計らってください。
外へ出なきゃと少しでも考えている人は、ほんの少し興味のあることをキッカケにぜひ飛び出してください。
PCやスマホやテレビやラジオや本で入手した情報と、良くも悪くも異なった現実を体験できます。
外の世界はとてつもなく広く、僕が現在見えているものも針の穴より小さいところです。
その針の穴より小さい穴も外へ出なければ見られないことで、穴から見えたものは自分だけのオリジナルの感覚。
富士山がすごいと書いてもうまく伝わらないように、考えて得るものより感じて得たものの情報量はとてつもなく大きいです。
外の世界が怖いのは僕もよくわかります。
今でも体調が不安定でぐったりすることも多いです。
それでも家から出て良かったと心から思えますし、もっともっといろんなものを、いろんなことを体験したいと考えるようになりました。
一度きりの人生を限られた時間の中でいかに楽しく過ごせるかを考えていたら、今回の記事を書いていました。
僕も生きるのが下手なので、いい歳してまだ脚がガクガクの生まれたての小鹿のような状態。
近い立場の人間としてそんな人が世の中にはたくさんいることも意識してみると、何か手を差し伸べてあげられたらと考えたのでありました。