この頃、飽食がどうも面倒に感じて仕方ない。
生きるにあたって食に不自由しないのはとてもありがたいことなのですが、選択肢が多すぎて参ってしまいます。
僕は食への関心が薄く、食事に対して楽しみをあまり感じません。
生きるために食べていると言っても過言ではないくらい興味がない。
食事をせずとも生きられるなら食べなくても良いと思っています。
外食をしてもとくべつ食べたいものはなく、「なんでも食べなさい」と言われても、なんでも良すぎてなかなか決まらないことばかり。
食事に興味がないうえに外食はとくに不得意。
緊張か不安か、謎のプレッシャーがあってうまく飲み込めなかったり、気分が悪くなってしまうこともあってなおさら行きたくない。
外食では、和食のときは蕎麦かうどん、洋食のときはパスタ、中華のときは焼きそばかチャーハンを注文する機会が多いです。
どうやら麺類は食べやすいようで、麺類ばかり注文しています。
「食が細い」と話したら「うらやましい」と反応する一部の食事好きな方がいらっしゃいますが、食べなくては生きられない生き物として、欠かせない食事は楽しく行えるほうがよほどうらやましく感じます。
また、毎日の食事も「何を食べよう」と考えるのが非常に面倒。
本来なら「あれも食べたいけど、これも食べたい。迷って大変だ」となるのでしょうか。
僕は食べたいものがとくにないため、本当に「何を食べよう」なのです。
良くも悪くも飽食による選択肢の多さゆえの悩み。
朝は毎日フルグラを食べています。
固定された食事は「何を食べよう」の悩みから解放してくれます。
朝と昼は適当に済ますとして、夕飯はご飯、味噌汁、肉か魚に漬物でもあれば十分。
そのくらい選択肢が狭く、毎日献立を考えないようになればなんだか気楽になれるような気がしなくもないような。
しかし、そんなことを言いながら変に健康に気を遣う性格なので、朝昼晩バランスよくいろいろなものを食べなければと考えてしまいます。
とはいえ、昔の人はこんなに栄養価の高いものばかり食べられていたわけではないし、生きるうえでは問題ないのでしょうか。
「何を食べよう」は毎日訪れる本当に大きな悩みですよね。
最近不調が続いており再び食事に関心がなくなってきたので、こんなことを書き出してみました。
調子が良ければ、ごはんはおいしいし楽しいもの。
生きるために切り離せない食事がどうも僕とはうまく噛み合わず、しばしば食事がしんどくなります。
毎日あれも食べたいこれも食べたいと思えるようになる日は来るのでしょうか。
もしくは食に関して、ここまで深く考えることなく食べても食べなくてもかまわないと完全に無関心になれるようになるのでしょうか。
などと考えているあたり、やはり楽しく食事をしたい願望が根底にあるようです。