「ような気がする」と非常にあいまいなタイトル。
主に仕事について考えていて、体調が不安定なために融通のきく職がないかと物色中。
物色とは言っても私の届く範囲では近所の個人商店を覗いているようなレベル。
もっともっと幅広く視野を広げていきたいと思う一方で、現状の視野レベルでは見つけるのは困難とも感じている。
「果報は寝て待て」は座右の銘だが、受け身で探していてもご縁は巡ってこない。
攻めの姿勢でいなければならない。
ただ攻め込む標的が今は見つかっていないのだ。
うっすらと標的が見えているような気もする。
あいまいな状態のため、現在は攻め込むタイミングではないと判断している。
とすると、今はどうするべきか。
やはりフツウとされる仕事に勤しむのがベターだろう。
企業に所属しコツコツと働いて、好機を見計らって抜け出す。
これが私のうっすらと見えているような気がする未来。
終身雇用制度が崩れている中、体調面も考慮すると、どうやら自分でなんとかしたい気持ちが強いらしい。
かといって、どのように自分でなんとかするビジョンまでは目を細めても見えてこない。
10年、20年先のことなんてわからないとほぼ今だけを考えて生きてきたが、年数ではなくアバウトな自分の歩いていく道がうっすらと見えてきたような気がする。
明日地震で死ぬかもしれない。そもそも明日地震は起きないかもしれない。5年後に宝くじに当たって大金持ちになるかもしれない。なっていないかもしれない。10年後には作家になっているかもしれない。なっていないかもしれない。15年後には交通事故で寝たきりかもしれない。そんなことはないかもしれない。
良くも悪くも未来に起こることはわからない。
それでも自分の歩きたい道をぼんやりと見つけて、ゲームのようにレベルアップしながら歩き回る人生でありたいと思う。
人生で今更なんてことはないと最近思う。でも、タイミングが違うときはあるかもしれない。今はそのタイミングが違うときのようだから、老後にでも余力があったら挑戦だ。暇過ぎてボーッとしてたらもったいないからね!
— おまめさん (@omamemame3) 2015, 5月 5
老後とはいつかわからないがやりたいこと、やり続けたいことがある。
それは勉強。
小学生の頃はずっと勉強をしていたかったから学者になりたかった。
今でも勉強をやり続けていたい気持ちは変わらず、老後には大学へ入学したいと考えている。
生きている中で、勉強と趣味と笑いの3つだけは絶対にやめたくない。
おっさんになっても、じいさんになっても、カリカリと筆を動かせ、カタカタとキーボードを叩く。
ピコピコとゲームに夢中になって、マンガを読んで泣いたり笑ったり。
しょうもないことで息ができなくなるくらい笑い転げていたい。
仕事と家庭と同じくらいに比重をおいて自分を維持していきたいと考えている。
あんなに大嫌いだった父を思いながら、父のようになりたいともこっそり思っている。
「灯台下暗し」のような感じで、先を考えると随分遠くの先を見てしまう。
私が今見なくてはならないのは灯台の下なのだ。