おまめモ

おまめがメモをしています

【Note】僕は自然たっぷりな田舎が好きらしい

僕は地方の田舎育ち。高校生くらいから拓けた場所に関心を持ち始めるも、行きたい、住みたいと思うほどの魅力は感じませんでした。

現在はやや拓けたところ?に住んでおり、田舎ならではの土や緑が恋しく思うこともしばしば。実家は海も近かったので、内陸にいると海も恋しくなります。

実家を出て気付くのは、今住んでいるところにはニオイが全然ないこと。海辺と大きく違った環境もありそうですが、木々や土のニオイ以前に、ニオイそのものが全くしません。今は慣れてしまいましたが、越してきた当時は相当な違和感でした。

また、今回僕の敬愛する水木センセイの「水木サンの幸福論」を読んで、より田舎に触れたいと思うようになりました。水木センセイのように朗らかな人になりたい。

近年は地方へ行こうという話が目立ちます。僕はもともと地方の田舎が好きだったらしく、住宅地へ来てますます自分の田舎好きを実感しています。その住宅地も田舎といえば田舎なのですが、住宅地なため土がない。少し離れれば畑や田んぼ、山々の緑もありますが、そこへ立ち入れないのは、やはりド田舎ではないからなのでしょう。土地勘がないために、入口がわからないだけかもしれません。そもそも入口なんてあるのかも怪しい。

自然に見える緑も不自然なもので、明らかに故意で手を出していない感じがします。ヘンな言い方をすれば、中途半端な緑がない。極端に緑か、そうでないかというような。

 

最近思うのは、子どもの遊び場についてです。

周囲の子どもを見ると、公園で遊ぶ姿をよく見かけます。しかし、良くも悪くもそこだけ。外で遊ぶのに確保されたスペースは公園だけなのかと気になります。

僕が子どもの頃は、田舎なのもあり、公園などのスペースはほとんどありませんでした。しかし、海へ釣りに行ったり、泳げないクセに川へ連れていかれたり、河川敷でごはんを食べたり、畑を踏み荒らして罪悪感にさいなまれたり、空き地で遊んでいたら大激怒されたり。ちょっとしたお店へ遊びに行くにも自転車で20,30分かかり、その道中も無駄話を楽しんでいました。もちろん、友だちの家でゲームをするのも大好きでした。

単純に、現在は子ども、周辺地域に関わりがないため、見えていないところでさまざまな遊びをしているのかもしれません。しかし、遊べるスペース、自然のある場所が見当たらないこと、どこもかしこも空きスペースを埋めるような環境に、息苦しさを感じています。

それでも子どもは遊び場を見つける才能があるので、僕らの知らない場所で楽しく過ごしているのかもしれません。それこそ僕らが散々に怒られた空き地も、本来は遊んではいけなかった場所のようでしたし。

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夏の夜にはカブトムシなどの虫が集まる地元近くの無人駅。相当なカオスになります。僕は虫は嫌いです。

都会へ、拓けたところへ行ってみると、少しの間はウキウキと楽しい気分でした。しかし、拓けたところが良いかといわれたら、そうではなく、やはり田舎には田舎の良さがあるのも身に染みてわかった気がします。

今日では地域格差も目立ってきているため、田舎は暮らしにくいところなのも納得できます。この格差が薄まれば、田舎へ戻る、田舎へ行く抵抗も随分なくなるのではと思います。

そして、おそらく田舎の良いところは、フツウあるものがないところ、なのかもしれません。しかし、都会にないものがあるのが田舎の魅力だったり。ないものねだりのフクザツな悩みです。 

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