久々に「2ちゃんねる」へ出入りするようになり、匿名の気楽さを痛感しています。
2ちゃんねるは名前が不要で、IDも毎日変わります。やり取りをしている相手も不明であるため、サバサバしたドライな雰囲気。関係性が持てないだけで、話し合いも随分気楽になるのだと感じました。
TwitterなどのSNSではアカウントがあるため、続ければ続けるほど「自分」ができあがっていきます。
他人のツイートを眺めているだけで、その人の雰囲気、印象が創造され、「旦那が~」「ネコが~」「自転車が~」この3つだけでも、結婚している、ネコを飼っている、自転車に乗っている、くらいのイメージが連想されるでしょう。
僕のTwitterアカウントは6年目。Twitterアカウントに存在する「おまめ」に少し息苦しさを感じてきました。
6年も続けていれば、自分で持っている「おまめ」のイメージと、自分が勝手に想像している「おまめ」のイメージ、そしてフォロワーが持っている「おまめ」のイメージが、さまざまなカタチで存在しているはず。
自分に対して悪い印象を持つならば、リムーブするでしょう。好きだからフォローする。嫌いだからリムーブする。シンプルな関係性なのに、自分の印象についてあれこれ考えてしまうのは、非常に疲れます。いいねがたくさんほしい、フォロワーがたくさんいる、これらがステータスとなるのが良い例えです。
好きなことを自由にツイートする場であるはずなのに、居心地が悪い今日この頃。
同じく印象を気にすることから、わざわざ捨てアカウントを作って、誰かを攻撃したり、相談事をしたりするのでしょう。
そのようなことを考え始めていたら、2ちゃんねるが気楽な場所のように改めて思えてきました。
記録が趣味な僕は、Twitterアカウントで自分を作り上げていくことは好きです。ただ、自分自身がネガティブであるとき、他人からの目や干渉を気にしてアカウントを消したくなってしまう衝動も起こります。
これが「SNS疲れ」というヤツなのかもしれません。