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【LifeStyle】人が生きているのを感じられる場所

田舎の実家から住宅地へ越してきて4年ほど。何気なく過ごしている日常で、たまに行く緑豊富なところから、人が生きている、人が生活しているのを、ひしひしと感じられて感激する場面がありました。

 

人が溢れかえっている都会では、その人たちが何をしているかが明確ではありません。スーツ姿の人があちこちにいても、実際は何をしている人なのか。ただ立っているだけに見える人が客引きだったり、ひらすら同じ道をくるくる回っている人が、何かを検証している人だったり。

お店も所狭しと並んでいます。商いをしている人とそれを求める人。都会も地方も同じことをしているのに、人の少ないところは、一つひとつの事柄が大きく響きます。

 

先日行ってきた避暑地は緑がとても豊富でした。家や道路よりも、自然の割合が圧倒的に多い。そんななかでも当然人は暮らしていて、畑を耕している人、散歩をしている人、げんきに遊んでる人。同じ人間なのに、コチラのほうが生きている感じがとても強く感じられ、不思議に思っています。

おそらく僕の中で、「田舎=暮らしにくいところ」の方程式ができているからかもしれません。そのぶん人間がたくましく見える。そして、視界に入る人も少ないため、1人ひとりの姿が力強く映る。

畑を耕している人は、その場で生産活動を行っているワケで、その姿が働いている姿であり、生きている姿。一方、スーツの人はそれこそ「何をしているのかわからない」ために、生きているのを感じづらいのかもしれません。

お店の場合は場所に関わらず経営者はいて、従業員もいます。建物は都会に比べてくたびれた雰囲気のモノが多い。くたびれた感じも、都会では「劣化」が当てはまるのに対し、田舎では「風化」や「緑の侵食」が強く感じられます。

経営においては、客の取り合いというより、そもそも人が少ないところで、細々と経営している雰囲気が、客を含めて生活しているのを感じられました。

僕の実家もなかなかな田舎ですが、この感覚はありませんでした。しかし、20年くらい前は個人経営の小さな店もチラホラあり、同じような雰囲気があったようにも思えます。

 

都会でも田舎でも生きるのはとても大変です。その「大変」のニュアンスが微妙に違うのを感じられた気がしました。どこかへ行く際、人の生活にフォーカスしてみるとおもしろいかもしれません。

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