おまめモ

おまめがメモをしています

【考え方】そんなことも知りません

僕のブログはハウツー記事が多いです。

手探りで見つけた答えをまとめておきたい、記事にすることで誰かの役に立つかもしれない。さまざまな目的があって書いています。

その中で最も大きな目的は、自分の知っていることを可視化していくためです。

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僕の父は"答えはひとつ"のような小難しい性格。

数年前、とあることから、僕は紐が結べないレッテルを貼られてしまいました。

中学校で陸上部に所属していたので、もちろん紐は結べます。

父の思う、紐を結ぶことができなかったのが相当ショックだったらしく、酒に酔うと時々そのことを情けないと話しているそうです。

"紐を結ぶ"とは何なのか。よくわからなくなりました。

また、小学生の頃、宿題を教わるのに「そんなことも知らないのか」と散々言われたのが印象強く残っています。

言い訳には「まだ習っていない」と答えていましたが、勉強の内容を理解していないのか、本当にまだ習っていなかったのか記憶が定かではありません。

おそらくどちらも当てはまっていたと思います。

今でも言われる「そんなことも知らないのか」の言葉が凝り固まり、常に自分の無知さを意識するようになりました。

 

それが今の僕に強く結びついていて、"知らないのが当たり前"が座右の銘になっています。

おかげで、"できます"や"知ってます"と自信を持って言えないのが悩み。

何をもって知っていると言えるのか。

哲学的な方向にまで考えてしまったり、結局、"知っている"は人それぞれの抽象的なもので、自分のものさしで計ることなのだと思います。

"上を目指す"の上は、部屋の天井か。ビルの屋上か。山の頂上か。雲の上か。あの星までか。それとも…。のような基準と同等。

自分のものさしを用いて、年月と共に少しずつブログ記事が増えていく。

下手な文章もわずかに良くなっている期待を含め、知っていることを可視化し、自分の成長を確かめています。

父に自信たっぷりな表情で「知ってるよ!」と言い放つときを目指して。

 

誤解してほしくないのは、僕は父が好きなところ。

重い一言を散々言われて嫌いだったときもありましたが、この歳になってようやく父はとても口下手で、不器用な人間でもあると気付きました。

不器用の中から生まれる気遣いには思わずにやけてしまいます。

以前、「お父さんみたいになりたい」のような発言をした日から、しばらく陽気だった、かわいらしい父の姿が忘れられません。

 

とてつもなくたくさんある情報の中で、ほんの小さな存在を教えてくれたのが父でした。

見返してやりたい気持ちもありますが、やはり僕はそんなことも知らないままなのだろうと思います。